1 :樽悶 ★:2024/09/30(月) 03:50:59.78 ID:KOwe8Rh39
邪馬台国をテーマにしたシンポに、多くの考古学ファンが集まった=2024年9月8日、東京都千代田区、今井邦彦撮影
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熱のこもった議論が交わされた邪馬台国シンポの討論=2024年9月8日、東京都千代田区、今井邦彦撮影
https://www.asahicom.jp/imgopt/img/6106f07993/hd640/AS20240922003246.jpg
公開シンポジウム「考古学が解明する邪馬台国の時代」が今月8日、東京・明治大学で開かれた。邪馬台国の有力候補地である奈良県内からも研究者が参加。「弥生時代と古墳時代の線はどこに引けるか」をめぐり、奈良の古墳や遺跡が議論の中心になった。
シンポジウムは考古学の学会としては国内最大の日本考古学協会が主催。「邪馬台国」といえば所在地が議論の中心になりがちだが、シンポの冒頭、会長の石川日出志・明治大学教授は「今日は所在地の論争はしない」と宣言。パネリストも多くが「畿内説」を前提に議論を展開した。
史書「魏志倭人伝」は、女王卑弥呼が倭国(今の日本)の王に共立され、中国の魏王朝から「親魏倭王」の金印を与えられたと記す。多くの考古学者は、この過程で「ヤマト王権」が成立し、弥生時代から古墳時代に移行したと考えている。
その転換点を示す遺跡はどこか。福永伸哉・大阪大学教授は、奈良県桜井市の箸墓古墳を挙げた。全長280メートルの、最古の巨大前方後円墳だ。
箸墓古墳の築造後、各地に同様の前方後円墳が出現する。「各地の勢力に『共立』された王だった卑弥呼が、魏に地位を認められ、他とは隔絶した存在になった。その卑弥呼が隔絶した規模の箸墓古墳に葬られたことで、古墳時代が始まった」と述べた。
これに対し、桜井市纒向学研究センターの寺沢薫所長は、「卑弥呼が共立され、倭国の新たな王都として纒向遺跡が出現したことこそが、ヤマト王権の成立を示す」として、同市の纒向遺跡の重要性を指摘した。
纒向遺跡では大規模な居館などの建物が整然と並び、全国各地の土器や、海外からもたらされた珍しい植物も出土している。ただし寺沢さんは、新たな王権の母体となったのは地元の「邪馬台国=ヤマト国」ではなく、北部九州の「イト国」を中心に中国とも外交を展開してきた「イト倭国」だったと主張した。
奈良県立橿原考古学研究所の岡林孝作・学術アドバイザーも、県内の古墳を数多く発掘調査してきた立場から、福永さんの見方に疑問を投げかけた。
纒向遺跡の周辺にはホケノ山古墳など、箸墓古墳より古く、全長90メートル前後の前方後円形の墳墓が複数存在する。寺沢さんが「纒向型前方後円墳」と名付けた墳墓群だ。ホケノ山古墳を調査した岡林さんは「それまでの墳墓に比べて十分に巨大で、銅鏡や武器も副葬されている。箸墓古墳より古いから、これらは古墳ではないと言ってしまっていいのか」と指摘し、纒向型前方後円墳の意義を強調した。(以下ソース)
2024年9月23日 10時15分
https://www.asahi.com/articles/ASS9Q42BKS9QPOMB00YM.html
★1:2024/09/27(金) 23:53:18.84
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1727448798/
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2 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 03:52:35.86 ID:JUh4DDir0
どうでもいい
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3 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 03:54:04.37 ID:KZCH5lth0
大陸から稲作が入って来て弥生時代になるんだっけ?
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4 ::2024/09/30(月) 03:54:52.43 ID:LRI3RgzH0
大陸から馬鹿な日本人に教えを授けに来た韓国人が来てからが弥生だぞ
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5 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 03:57:53.90 ID:P9OIcMGT0
フランスのFラン大学にしか
入れなかった
トルシエ通訳さん。 -
6 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 04:00:43.84 ID:NNED4UAP0
どうでもいい
>>2
確かにどうでもいいわなw
知ったところでどうなんだよ
昔も韓流稲作にハマってましたってか -
7 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 04:12:15.99 ID:ob8LlsOK0
邪馬台国は佐賀だよね
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8 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 04:13:11.96 ID:bwbbMylb0
正倉院のどこかに金印とか無いの?
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9 ::2024/09/30(月) 04:18:46.40 ID:HQ8Ecabr0
弥生って七百年くらいでクソ短い時代だな
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10 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 04:32:14.23 ID:+HzqaUOB0
あの頃まだ子供だったから覚えてないや これといった変化なかったと思う
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11 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 04:55:27.11 ID:467KZ4xN0
その辺はみんなボヤッとしてるんだよ
せめて沿海州をもうちょっと研究できればなあ
明らかにあそこにいろいろあるのに
ロシアのアホがどっかり妨害してるから -
12 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 05:13:12.84 ID:b6cKkFQz0
1番古い古墳でいいのでは?
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13 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 05:27:19.58 ID:0ezjvxxG0
くっきりここからってわけでもあるまい
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14 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 05:40:06.17 ID:1xdzIinZ0
データが無いんだから時間の無駄
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15 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 05:43:28.81 ID:IcuyZZ9m0
稲作があるかないかでしょ
稲作により集落が出来て土器が変化したりしていく事を学ぶわけだし -
16 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 05:45:17.40 ID:ja2fRVzV0
どう考えても1枚目が記憶のオーストラリアなんだが、現実は2枚目なんだ
https://i.imgur.com/59Np3Nr.jpeg
https://i.imgur.com/XYOUR0A.jpeg -
19 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 06:15:13.71 ID:RT2N7Ne60
邪馬台国は九州の遥か南にある島
日本の歴史とは無関係 -
20 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 06:26:00.57 ID:B9VOHO/U0
おお2レス目
まあ箸墓は卑弥呼の墓ではないし、畿内が邪馬台国ではないわな。
卑弥呼の時代前後に大きな変化があってそれが弥生時代と古墳時代の
線引きとなるなら、その理由の一つはおそらく神武(=崇神)東征
だろう。 -
21 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 06:39:03.91 ID:8D2au6mE0
どうでもいいだろはっきり線引出来るもんでもないし
-
23 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 06:42:43.46 ID:bxgr4Kr10
歯冠サイズの地理的変異(長岡朋人)
i.imgur.com/68g8Cjx.png
九州---関東-----近畿
両地域の相違は、短頭傾向を持つ近畿の集団と長頭傾向を持つ九州の集団との違いにみられるように、頭蓋計測値でも認められている(Nagaoka.2003)
したがって、両地域の相違は歯冠サイズに限定した現象ではない。
同心円的構造の背景として、外来集団の渡来は不可欠ではあるが、もう一つの重要な要因として近畿の歴史的・社会的環境要因を考えた。
近畿は歴史時代における政治・経済・文化の先進地域であり、そうした地域に特有な社会環境が遺伝子頻度の変化、例えば渡来人遺伝子の増加をもたらした可能性があると指摘した。 -
24 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 06:43:07.65 ID:bxgr4Kr10
池田次郎『日本人のきた道』より
大陸からの渡来の波は、古墳時代を通じて断続的に押し寄せたが、それは中央政権の支配が拡大するにつれて、農耕が全国的に普及したためである。
このように渡来形質をもつ農民集団が本土の広い範囲に進出したからといって、古墳人の地域差が縮まったわけではない。
大陸要素の濃度という点からみれば、古墳人の地域差はむしろ拡大している。したがって、古墳人の特徴も、地域を無視して一概には論じられないが、
大ざっぱにいうと、大半の古墳人は現代日本人に類似する特徴を多かれ少なかれもっている。
百々幸雄らは、頭蓋小変異の出現頻度によって、縄文人・渡来系弥生人・古墳人・歴史時代日本人に分割され、現代人の特徴は古墳時代まで遡れると結論している。これらの特徴はすべて大陸に由来するものである。 -
26 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 06:49:07.24 ID:bxgr4Kr10
古墳時代人のペンローズ形態距離
i.imgur.com/BsoNbhx.jpg
各地の古墳時代男性頭骨の弥生・縄文判別関数値
(池田次郎・京都大学名誉教授による)
+2.12…畿内
+1.47…南近畿
+1.08…四国
+0.76…東中国・西近畿
+0.70…西中国・北東九州
+0.51…関東・南東北
+0.40…北陸
-0.87…南九州・西九州
※+は弥生(朝鮮)側、-は縄文(アイヌ)側
なお、池田の扱っている資料の殆どが5世紀以降のもの。 -
27 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 06:49:32.85 ID:bxgr4Kr10
東アジア人のゲノム解析
i.imgur.com/awE22OK.png
九州沖縄がアイヌ寄り
関東近畿が韓国寄り
日本人と韓国人のゲノムを比較した結果 -
28 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 06:49:53.89 ID:bxgr4Kr10
5世紀、倭の五王の時代の範図
i.imgur.com/UO7TqP0.jpg
ヤマト王権による畿内(きだい)と毛野(けぬ)の二大体制
仙台では須恵器が大量生産されていた
古墳と祭祀遺跡は、いずれも古墳時代を考える上で重要な要素である。
石製模造品は、その両者を共通して分析できる数少ない遺物の一つであり、古墳時代中期を代表する祭祀遺物である。
畿内を発祥の地とし関東地方まで盛行することから、大和政権の東国に対する勢力伸長を反映するものと理解されてきた。
この考えは、今日にいたるまで基本的な視点として受け継がれている。 -
30 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 06:51:22.52 ID:mN79y90p0
邪馬台国が纒向なら古事記や日本書紀に絶対記述してるよ
-
31 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 06:57:32.72 ID:lLY/ggM60
畿内の「邪馬台国」を、
北部九州の「倭奴国」が東征して
ヤマト王権(大和朝廷)の母体となった -
32 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 06:59:09.52 ID:6hEQBwGa0
邪馬台国畿内スレの秀逸なテンプレより
>上位の墳墓に畿内系土器が供献される事例が増え、3世紀前半のうちに博多那ノ津地域の政治中枢が弥生時代以来の春日地域から畿内系色濃厚な比恵・那珂地域へ移ることからも、その浸透状況の性格が覗われる。
>北部九州の土器編年で言えば卑弥呼の人生の大半を占める時期の相当する久住IA・IB期、博多は対外交易について最大級の中心地である。そのころ、博多は畿内人の流入を含む深い人的交流があり、生活様式から祖先祭祀の形態まで、その影響を受けている。
>この時期に、奴国の中枢域に比定される那珂比恵地域の土器相が畿内ヤマトの「飛び地」的展開に向かっている現実は、邪馬台国九州説にとって絶望的である。 -
33 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 07:01:09.26 ID:lLY/ggM60
邪馬台国が纒向なら古事記や日本書紀に絶対記述してるよ
>>30
逆
畿内の「邪馬台国」を、
北部九州の「倭奴国」が東征して
ヤマト王権(大和朝廷)の母体となった
から
邪馬台国や卑弥呼は、古事記や日本書紀に絶対記述しない
畿内の「倭奴国」を、
北部九州の「邪馬台国」が東征して
ヤマト王権(大和朝廷)の母体となったなら
邪馬台国や卑弥呼は、古事記や日本書紀に絶対記述している -
34 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 07:01:18.88 ID:mC+NLgOT0
邪馬台国は佐賀だよね
>>7
邪馬台国は宇佐で
中つ国は中津 -
35 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 07:03:08.39 ID:mN79y90p0
邪馬台国が纒向だったら少なくとも九州から関東にまで及ぶ巨大勢力になるが、そんな巨大勢力が南の狗奴国に脅かされてたのか?和歌山の山奥に拮抗する勢力とか不自然にもほどがあるw
-
36 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 07:03:30.75 ID:GxVC4hIO0
畿内には必要条件はあるが充分条件が無い
必要条件と十分条件
2~3世紀の大規模集落の存在は邪馬台国として比定する必要条件ではあるけど
それだけでは十分ではない
何故なら魏志倭人伝には他にも邪馬台国を特定するための情報がいくつもあるから
例えば絹
例えば鉄の矢じりを使う
卑弥呼が擁立される前には倭国大乱があったとされるから
それを裏付けるような形跡
中国鏡
魏志倭人伝には帯方郡からの道里も書いてあるからそれとの整合性
女王国連合に名を連ねる奴国が漢委奴国王印を貰った奴国のことなら
紀元前から大陸との交流があったことになるからそれを示す遺物が無ければならない
それらが揃ってはじめて十分条件を満たしたと言えるのではないだろうか? -
37 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 07:06:40.03 ID:lLY/ggM60
古事記や日本書紀は
勝者の自伝
畿内の「邪馬台国」を、
北部九州の「倭奴国」が東征して勝ち
ヤマト王権(大和朝廷)の母体となった
から
勝者、北部九州の「倭奴国」が
奈良で書いた勝者の自伝
古事記や日本書紀には
邪馬台国や卑弥呼の名前は
絶対に記述していない -
38 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 07:09:20.85 ID:GxVC4hIO0
古事記や日本書紀は
勝者の自伝
畿内の「邪馬台国」を、
北部九州の「倭奴国」が東征して勝ち
ヤマト王権(大和朝廷)の母体となった
から
勝者、北部九州の「倭奴国」が
奈良で書いた勝者の自伝
古事記や日本書紀には
邪馬台国や卑弥呼の名前は
絶対に記述していない>>37
邪馬台国と卑弥呼の名前が書いてないのは
単にその時代に大和王権が存在していなかったからでは?
邪馬台国=高天ヶ原
天照大神=卑弥呼 -
41 :名無しどんぶらこ:2024/09/30(月) 07:17:00.25 ID:nFElmr760
もう机上の空論の九州説は終わり。畿内説しかまともに進歩してない。
江戸時代の作り物だから限界だろ。

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